Category Archives: 浪曲鑑賞入門

「浪曲ZINE 第一号」(2017.7.25) に記事を書きました。

Posted on 2017/08/20 by

小塚ルイ子さん編集・発行の「浪曲ZINE」の第一号に寄稿しました。
自分なりに「浪曲ってどういうもの?」っていう入口になるようかみくだいた文章を書いてみたつもりです。そこそこ頭をひねったし、寝かせておくのももったいないので、小塚さんの許可を得まして、転載することにしました。このサイトの文体とは意図的に変えてますんで若干の気持ち悪さもあるかもしれませんけれど、そこはご容赦いただいてw。
御意見等頂けましたら幸いです。

以下転載。


末廣友吉の

浪曲ってどんなかんじ??


ご縁がありまして、浪曲に関する駄文を書かせて頂く末廣でございます。以後よろしく御見知りおきを。基本マニアなアタクシでございますが、マニアック情報はアタクシのサイト(プロフィール欄参照)を読んで頂くとして、今回は「聴いたことない」とか「最近聴きはじめた」という人へのガイドラインになるよう、ザックリと書いていこうと思っております。柔らかくいきますんで、よろしくど〜ぞ〜!

 

【浪曲ってどんな芸?】

日本三大話芸、「講談、落語、浪曲」のひとつということになっております。こう書くと堅苦しく聞こえますが、「語りでお客様を楽しませるという芸事のうちの一つ」くらいに思ってください。そして「日本三大話芸」のなかで、一番新しいのが浪曲です。
他の二つとの最大の違いは、三味線の伴奏(他の楽器が加わる場合も)があること。「三大話芸の中で一番若く、一番音楽的」なのが浪曲なんです。
だから、アタクシは音楽ファンにこそ、浪曲を聴いてもらいたいと思ってます。

 

【一声二節三啖呵】

(いちこえ にふし さんたんか)

浪曲の大事な要素を示す言葉として「一声二節三啖呵」というものがあります。これ、大事な順番に並んでるのですが、「声」は、声質とか声量のこと。「節」とは一般的に言う「歌」の部分を指します。そして「啖呵」とは「セリフ」とか「ナレーション」に当たる部分です。「いい声」があることが一番重要。これは生まれ持った才能や天性でもあり、努力でどうにかならない場合もあるかもしれません。ですから、その次の「節」こそが浪曲という表現形式の非常に重要な部分だと言えるんじゃないでしょうか。他の話芸と違う部分こそが重要だということです。そりゃそうですよね。「他とはちがうよ!」ってのはウリになるんですから。

 

【浪曲の構造】

ここまでを踏まえて頂いて。浪曲の構造を説明していきます。浪曲は三味線からはじまり、節が始まって啖呵が入り、節に移ってを繰り返して、節で終わります。

図のような感じです。
浪曲が「和製ミュージカル」とも言われるのはこういう構造のためです。
「節」は「歌」というか「メロディ」ですから、普通に喋るのと比べると、言葉をぐぅ〜っと伸ばすところがあったりして、ずっと時間がかかります。さらっと読んだら10~20秒のところを1分くらいかけて歌い上げたりする。これが一回や二回じゃなくて何回もある。それだけ時間を使って聴かせるくらい重要な位置を占めています。
一方で、この構造は細かい心理描写、込み入った内容の説明に時間をかけられないという問題を生みます。このことから台本に多くの制約や約束事ができますが、それについては後述します。
それでも、浪曲はこの構造をず〜っと維持しています。なぜか。
「一声二節三啖呵」、で述べたように非常に重要な部分で、他の話芸にはない浪曲だけの特徴であり、心理描写のかわりまでやってのけるからです。

 

【節の効用】

節は物語全体の流れに常に寄り添うメロディがつけられています。もっと具体的に言うならば、登場人物や物語の気分や気持ちが言語化以前の雰囲気として反映されています。
節の出来が素晴らしければ、うっとりしたり、翻弄されたりしてるうちにそのメロディが持つ雰囲気にすっかり呑まれ、物語の中に連れて行かれるという心理描写以上の効果を持ちます。
余談ですが、もっと腕いいと「節がカッコよすぎて話なんてどーでもいい!」とすらなってしまうこともあります。ここにハマったファンは節しか聴かないという人になってしまったり。
昔の浪曲ファンの中には浪曲のことを「節」と呼ぶ人がいます。これは「節こそが浪曲の魅力だ」という主張なのだろうと思っています。
またSP盤時代の録音にはすごくいい節が入っているけれど収録時間が短いために話の全貌がぜんぜんわからないなんてものがときどきあります。しかも調べてみると続きが作られてなさそうだったりすることもあり、これもまた「節さえ聴ければいい」という人のためのものだったんではないかと思うことがあります。
古い話をすると、「それは明治とかの話でしょ?今はそういう時代じゃないんだよ」とか言われそうなので、例をぐぐっと現代に近いところまで戻しましょう。三波春夫師はこんなことを言ってます。

たとえば物語が理屈に合わなくても、面白くて、いやーよかったなあ、今日の浪花節は、しかし筋は何だったけな、というぐらいで、私はいいと思うんですよね。

筋がなんだかわからないのに「面白くて、いやーよかったなあ」ってどゆこと?って感じですが、
「面白い話を聴いたなあ」という状態だったら
「いやーあのシーンよかったよねー」
「あのギャグ最高だよね」とかになりますが、
「しかし筋は何だったけな」とはならないですよ。
つまり、「節」がよかったんで話がすっとんじゃった系の感想だと思うんですよ。
浪曲における節とは台本の筋よりも重視されるものでもあったと言えるのではないかと思えます。

閑話休題。本題に戻って実例を挙げます。
浪曲中興の祖と名高い桃中軒雲右衛門の演題「南部坂雪の別れ」の一番有名な節に

御納戸羅紗の長合羽
二段はじきの渋蛇の目
爪がけなした高足駄
あとに続くは大石の
懐刀 寺西弥太夫
来たるは名代の南部坂

という文句があります。現代人には意味不明ですよね。
現代語訳しますと

暗い青緑色のポルトガル伝来製法の厚手羊毛の長合羽
開き具合を二段階調節できる傘
爪先が濡れないようにカバーした高下駄
あとに続くは大石の
懐刀 寺西弥太夫
やって来たのはあの有名な南部坂

となります。めちゃくちゃ語呂悪いです。
現代語訳なんて無理です。そこをさらに無理矢理に端的に言うと、

大石は雪支度も万全に腹心を供に南部坂までやって来ました

となります。
ここまですると、文章だけ読んだ人は
「え?服自慢?それって歌い上げなきゃいけない内容ですか?」
みたいに思うかもしれませんが、
聴いたことある人は
「歌い上げなきゃいけないに決まってるだろ!」となるでしょう。
それくらい強烈で印象的な節です。

ところで、この話には

・忠臣蔵もの
・南部坂には亡き殿の奥方が住んでいる
・この日の晩に討入りをする
・その最後の別れにやってきた

という設定があるんですけども、正直何も説明してません。
ですから「服を自慢」するために歌い上げてると思っちゃっても攻められません。

でも実際は、

・文句「正装であること」を説明。
(決意のあらわれ)
・節「熱唱」
(文句の決意を受けてそのたかぶりを表現)

ということで歌い上げているわけです。
前提条件をいろいろ踏まえての「熱意」が熱い節になっているわけです。
「え〜、そんなこと知らないと理解できないの?めんどくせえなぁ」
という声が聞こえてきたような気がしますので急いで補足しますと、

節の文句が理解できないときは、節のメロディを聴きましょう。
そこには感情が表現されてます。

つまり、「なんだかわかんないけど楽しそうだな」とか「悲しそうだな」とかが
なんとか掴めていて、節に酔えれば物語の雰囲気がわかる。
そこから意味を類推していくことができる。
浪曲はそういうふうにできているんです。って、そんな乱暴な解説あるかい!
って思うでしょうが、実際のところそうなんだからしょうがない。(そこは後述)
だから「一声二節三啖呵」では節が啖呵より上位にあるんでしょうね。

 

【節の役割】

浪曲が上記の構造を持つことは前述したとおりですが、もうちょっとくわしく説明します。
最初の節を「キッカケ」と言いまして、メッセージの内容にはある程度のフォーマットがあります。

・ご来場のお客様への感謝の辞
・自分及び一門の芸風の紹介
・主人公の紹介
・語られる話の場所と季節の描写

だいたいこのあたりを組み合わせて構成されることがほとんどです。
レコードだといきなりお話に入る形で録音されていることもあるんですけども、生の舞台ではこのあたりが組み込まれている確率は非常に高いです。これ、なんでなのかなあと思ってたんですよ。だってストーリーを聴かせるんであればなくてもいい内容なこともあったりするわけで。これはたぶん落語の枕に当たるんでしょうね。多分。
枕なしでいきなり落語に入る人ってあんましいないと思うんですよ。たぶん、それと同じで本題に入る前の準備運動みたいな意味があると思うんです。
でも枕が「音楽」であるというのは「浪曲って音楽の部分が重要ですよ」
あるいは「音楽の部分でリラックスして楽しんでね」ってことなんじゃないかなとも。
いずれにしても「キッカケ」でグッといい節を聴かせられるかどうかで観客の入り込み方が違ってきます。「浪曲聴くぞ!」という気持ちさせる重要な部分なんです。
最後の節は「バラシ」と言います。物語の締めくくりを盛り上げて締めるという重要な役割を持っています。ここがカッコイイと「うっひゃ〜いい浪曲きいたわ〜!」という充実感と開放感が同時にやってきます。でもって「また見に来ちゃおうかな?」と思っちゃうという。
なのですごく重要。

それ以外で節が入るときにはある程度の法則があります。

・登場人物or物語の感情が盛り上がった
・場所と時間の移り変わり
・決めゼリフ

登場人物の気持ちが盛り上がったときに使われる節は、前述のとおり、感情が反映されていますから、言葉が聴き取れなくてもメロディの雰囲気で概略がわかります。
「場所と時間の移り変わり」っていうのはちょっと難しくて、浪曲では場面や時間がスパッと切り替わることが結構あるんですよ。「あっと言う間に〇〇年」とか言って。このときに使われる節っていうのが苦労を重ねて尾羽打ち枯らしてなのか、明るい未来を想定しつつなのかでやっぱり節の様子が違うわけです。ここも論理ではなく感情が場面を繋ぐ仕組みになっている。
「決めゼリフ」っていうのは、代表的なのは虎造師匠ですけど、そこの箇所一行くらいが唐突に節になるみたいなやつです。(例:「お民の度胸」の「来たのは昨日の〜 昼頃よ〜♪」など)これは歌舞伎でいう「見得を切る」みたいな感じですね。なので、「どうだ!聴きやがれ」って感じの節になります。これもやっぱり「感情」なんですよ。

落語や講談が構築的に話を織り上げていって、つまり世界を形成していって、そこに客を連れて行くという精緻な作業によっている成立してるのとは反対に、浪曲は節の気持ちよさとそこに織り込まれた感情で半ば強引に観客を引きずり込むという方法をとっているとも言えるかもしれません。「節に酔えれば物語の雰囲気がわかる。そこから意味を類推していくことができる。浪曲はそういうふうにできている」と乱暴に前述しましたが、それはこういうことです。
って納得してもらえたでしょうか?

 

【台本の特徴】

落語や講談の構築的なやり方と浪曲の感情的なやり方は違うというお話をしたところで、じゃあそれ、台本にどう反映されるの?ってことになりますが、これは聴き比べしてもらうのが一番わかりやすいんですけども、文章でそれを言っちゃうと逃げになっちゃうんで、まず共通演題をいくつかあげておきましょう。

・紺屋高尾(講談/落語)
・文七元結(落語)
・崇徳院(落語)
・芝浜(落語)
・天保六花撰シリーズ(講談)
・天保水滸伝シリーズ(講談)
・清水次郎長伝シリーズ(講談)
・忠臣蔵シリーズ(講談)


メジャーなところで古典演題となるとこのあたりでしょうか。
(近年の新作の共通演題に関しては、演じ方も取り巻く状況もちょっとカオスなので、読み解くのにいろんなファクターがあり、ちょっと手間がかかることもあり、あえて省いてます。)
並べてみて気づくのは、落語との共通演題は「恋愛もの」が多数で、講談の方は「侠客もの」や「忠臣蔵」のような「武張った群像劇」が多いような印象ですが、これはもっと細かく網羅したら違ってくるかもしれませんので、これ以上推測を述べるのはやめときます。
落語との比較で言うと顕著なのは「紺屋高尾」(あらすじ:紺屋の職人が吉原の売れっ子高尾太夫に一目惚れ。必死でお金を貯めて会いに行くと…)ですかね。落語では高尾に会いに行く直前、紺屋の親方と三年かけて貯めたお金で高尾を買いにいこうとする職人久蔵のやりとりが結構丁寧に語られるんですが、浪曲ではすごく短い。落語では情感豊かで人情味あふれる泣かせるいいシーンで、これが久蔵の想いの深さと正直さとを表してるんですが、浪曲では泣かせません。サクッとヤブ医者の竹庵先生登場しちゃいます。さて、どうしてこうなるか。落語は基本的に会話で心情を描写する芸なので、準主役が主役から会話を引き出さないと心情が描きにくい。浪曲は節が感情描写であるためにそういう積み重ねをすっとばしちゃえる。それもメロディで表現できるので言語化すらせずにいきなりイメージを提示できる。ですから会話を積み重ねて心理描写するとかその相互の行き違いが巻き起こすおかしみが話を作ってくという落語でよく見られるタイプの作劇方法は少数な気がします。(気持ちの行き違いから決闘寸前になるという「茶碗屋敷」タイプの展開は除く)

講談と共通してる演題の多い「侠客もの」に関して言うと、例えば「天保六花撰」シリーズでは
「雲州候玄関先」とか「直侍との出合」とか「三千歳廓抜け」とか「三千歳と森田屋清蔵」が浪曲でよく演じられています。
ところが「卵のゆすり」をやる人を見たことがありません。
と言うと講談に詳しい方は「はは〜ん」と納得してくれる気がしますが、どうでしょう?
ところで。前述した浪曲でよくやられる「天保六花撰」シリーズの演題には

・悪人同士の掛け合いがある
・悪人同士だから斬った張ったになりかける
・見栄の張り合いで火花を散らす

みたいな共通点があるんですが、「卵のゆすり」はどれもないんですね。つまり、とても静かで構築的で一字一句のニュアンスが重大な意味をもつというタイプのお話。おそらくこういう話こそ講談の真骨頂なのでしょうし、実際とても面白い演題なんですが、浪曲にははそういうタイプの演題がないんですね。たぶん、そういうのぜんぜんむいてないんです。浪曲は、なんせ節で歌い上げないといけないわけですし、細部とか語ってる時間ないんですよ。しかも、いい節唸ると観客も細部が素っ飛んじゃうし。
なので、浪曲の台本はある程度は状況を積み重ねるんですけども、あるとこを超えると「よっしゃあ、やるか!」みたいに登場人物が行動をおこしちゃうんですね。
そりゃあそうですよ、感情を歌い上げて、ドラマ全体が燃え上がってるんだもの。冷静に物事を進めるとか無理ですよ。
浪曲は講談の台本を下敷きにした続き物が多いんですけど、そのシリーズでも講談にはある話なのに浪曲にはないとか結構あるんですね。たぶん浪曲に合わない場面はやってないんだと思います。
そのへんのところはまだ要調査なんですけども、逆に浪曲化されてない場面を調べることで見えてくるところもあるかなぁと思ったりしてます。

 

【台本の制約】

浪曲の構造を踏まえると台本の制約や約束事というか、なんとなくこうなってることが多いね、みたいなことなことがうっすら見えてきます。前述したことも含めてまとめてみます。

・節では言葉で状況を、メロディで感情を表す。
・会話のやりとりやナレーション的なことよりも、言葉遣いの強弱や音韻に感情を込める。
・七五調が多用される。


これらは全て「音的」な要素で、文章的ではないわけですけども、つまり「説明的」であるよりも「感情的」であることに重きを置いていているんではないかと考えています。訴えかける「内容の細やかさ」ではなく「感情の細やかさ」で物語に起伏を与えるというやり方です。
「七五調」の多用が「音的」な話だというのはちょっとわかりにくいかもしれないですけども、文字数を制限することでリズムが生まれ、グルーヴが生まれ、節も啖呵も音韻と相俟って音楽的になる。
これを基本的ルールとしたときに、文字数の制約というのが出てきます。また音楽的であろうとすると意味より音の響きを重視するという価値観も生じます。
でも、問題ないんですよ。感情さえ伝えられれば物語の要旨って伝わっちゃいますから。
「この人、悲しいんだな」ってわかって、その嘆きように胸を打たれれば、事情はわかんなくても、思わず知らず涙が出てくるみたいなことってあるじゃないですか。そういうことです。
といったようなこともあって、浪曲には今はあんまり使われない言葉が登場することが結構あります。でもいいじゃないですか。
「男一匹、五尺の体」が身長151cmだとかわからなくたって。
「百貫」が375kgだとか知らなくったって。
充分意味わかるじゃないですか。それより気持ちいい節と啖呵のグルーヴが大事じゃないですか?というか節の雰囲気が感情の流れを表しているわけですから、言葉を追うことに重心を置きすぎると浪曲は楽しめないという構造になってるとも言えます。
なので、ざっくり楽しみましょうよ。ということを反映してでしょうか、浪曲には物語の進行に定型のフォーマットがあります。言うなれば「寅さん」とか「釣りバカ日誌」とか「水戸黄門」などなどの大ヒットシリーズみたいなお約束があるといいましょうか。意図的なマンネリズムとでもいいましょうか。そろそろ寅さん帰ってくるよ、と思ったときに本当に帰ってくるあの楽しさですよ。
形が定まってるということは安心して細部に没入できるとも言えるわけで、浪曲はそういうように楽しむようにできているとも言えるわけです。

 

【ざっくりとした歴史】

浪曲は江戸末期から明治初期、大道芸がいくつか(浮かれ節、祭文など)が混じりあって成立したと言われています。当初は「浪花節」と呼ばれていました。
庶民の手によって生まれた芸能というのは変化を重ねて成立することが多く、だいたいの場合、正確な成立年代や過程はよくわかっていません。
そこは「浪花節」もご多分に漏れずです。
当時の大道芸人というのは農地を追われた農民、脱藩者、非人などといった食い詰めものの集まりでした。
つまり、よく言われる「講談は武士の芸、落語は町人の芸」という言い方にならって言うと
「浪花節は賤民の芸」だったと言えます。
成立初期には「賤民」である「浪花節語り」を嫌って、同じ寄席に上がりたがらない、上がった舞台を鉋で削らせるなどという具合にかなりの差別もあったそうです。しかし、明治20年代ごろから、浪曲は人気を増し、講談・落語に大きく差を付けるほどの人気芸能になっていきます。浪曲師の人数は昭和18年にピークを迎え、3000人に達し、長者番付には浪曲師の名が載り、ラジオでは毎日浪曲番組が放送されるという盛り上がりを見せました。
このころのことを落語の桂米朝師匠は

このままでは落語は浪曲に喰われると思った

と言っています。それほどの人気を博しました。この期間にずっと「浪花節」を支持し続けたのは庶民でした。インテリ層からは「下品だ」などと言われ、多くの批判がされており、それでも「浪花節」の勢いは止まりませんでした。
つまり、現在に残る芸事の中ではもっとも最近まで庶民に親しまれていたのが「浪花節」ですから、その敷居は非常に低かったと言えます。
一方、多くの批判を受けながらも、当時非常に高価で、庶民が気軽に買えなかったはずのSP盤レコードの売上は「浪花節」が独占的に上位を占めていたということは非常に面白い現象です。(ここらへんについては要調査)
そういった批判を受け、イメージを一新しようということもあり、大正7年ごろから使われはじめた名称が「浪曲」です。
さて、そこまで人気があったはずの「浪曲」がなぜ、ここまでマイナーな芸能になってしまったのか、諸説あるんですが、

①戦争時に行った「愛国浪曲」など戦争賛美の雰囲気が嫌われた。
②戦後、GHQにより「愛国浪曲」「仇討もの」
など多くの演題を禁じられ、勢いを失った。
③テレビに芸が合わなかったことで時代に取り残された。
④三味線音楽というものがある時期から突然古くさくなり、庶民にウケなくなった。
⑤人気浪曲師の死去。

どれもある程度の説得力はあるんですが、正直どれも決定打に欠けるという印象があります。
「愛国浪曲」に関しては一部人気演題もあったのですが、寄席ではあんまりウケてなかったという評判も聞きます。また、「愛国」的な浪曲以外にも戦後は「反戦」的な浪曲も多く作られていますから、「愛国浪曲」だけを理由にするのはちょっと雑な気がします。
GHQの統制があったというのは事実らしく、本当にその時期に勢いを失ったことも事実ですが、戦後にも浪曲がもう一度盛り上がったこともあったわけで、これだけを理由にするのはちょっとどうか。
テレビに芸が合わなかったというのはこれは全く事実で、テレビで見せるには絵的に華がなかったとはよく言われます。これは大きな要因ではありますが、ラジオでの人気は相変わらずあり、地方興行も盛況だったと聞きますし、これもそれだけに原因を求めるのはちょっと弱い。
三味線音楽が古くなったという説には、確かに一定の説得力がありますが、じゃあいつからなのかというと、これちょっとわかんない。
人気浪曲師の死去っていうことよりも、その後が出てこなかったということが問題なので、これは鶏と卵どっちが先みたいな話ですし、そこはちょっとどうなのと。
というように考えると、複数の原因があって、徐々にというのが本当のところかなと思いますが、アタクシが考えるにもう一つ理由があると思うのです。
それは「暴力団対策法(以下「暴対法」)」(平成3年)の影響です。誤解のないように言っておきますけども、浪曲が暴力団とズブズブだとかそんなことを言いたいんじゃないですよ。しかし、テレビでの露出が少ない中で、浪曲師の最後の命綱として残っていたのが地方興行です。これを取り仕切っていた興行者はどうしたって暴力団の影響下にいたわけです。この人たちが暴力団のフロント企業とみなされて取り締まられていくことで、地方回りの仕事がグンと減ったということは紛れもない事実です。ここで最後の収入を断たれ、20数年たつのが、今の浪曲界です。

これは大変な状況ですよ。でもですね、経済と、芸の質は必ずしも一致しないと思うんですよね。また当然ですけど、観客の数と芸の面白さも比例しません。そして、全盛期から修行している腕自慢の師匠方はまだ元気に舞台に上がっています。若手も入門してきている。むしろ、これからが浪曲の未来の始まりでしょうと、アタクシは思っています。

 

【まとめ(というか浪曲の楽しみ方)】

浪曲は難しいもんじゃありません。庶民、いや賤民が演じ、楽しんだものなんですから当然です。少なくとも、能みたいに平安から続く貴族の芸とかじゃありませんから、格式は高くありません。難しいんじゃないかとか予習が必要なんじゃないかとかそういう先入観は必要ないです。

ただ、少し昔の(といっても江戸時代までです)話が多いので、やや聞いたことのない言葉遣いがあるかもしれません。また、昔の人に人気だったストーリーが多いので、知らない話もあるかもしれません。でも、それは少し年上の人とテレビ番組の話をしてわかんないことがあるのと同程度の話です。聴いてるうちに慣れてきますし、面白くなってきます。

ただ、マニアとして言わせて頂きたいのは、
言葉がストーリーがわかんなくなったら、節を聴いて!ということです。
節の雰囲気で話の雰囲気は大体わかるから!
というわけで、浪曲を気楽に楽しんでください。

木馬亭で待ってます!


【参考書籍】
広沢龍造著「浪曲入門 声の出し方・うたい方」鶴書房(1955)
安斎竹夫著「浪花節の世界 むかし・いま・これから」日本情報センター(1974)
尾崎秀樹著「大衆芸能の神々 怒りと泣きと笑いと」九藝出版(1978)
稲田和浩著「浪曲論」彩流社(2013)
長田衛著「浪曲定席 木馬亭よ、永遠なれ。」創英社/三省堂書店(2014)

末廣友吉(すえひろゆうきち)プロフィール
マニアサイト「浪曲データーベース」及び資料サイト「浪曲DB」管理人。年に数回程度のパートタイム企画者。自称「若手トップ浪曲コレクター」。意外にも多忙と誹謗に悩まされているので、広報用Twitterをやめ、個人用のみに。それでもサイト更新ができなくて困っている昨今。


「浪曲ZINE 第一号」(2017.7.25) より。

転載ここまで。

話芸における浪曲の特殊性<1>

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Posted on 2013/12/14 by

浪曲を聴きはじめて間もない人と話をしているとときどき、「言葉が聴き取れない」「話の筋がわからない」といった感想を聞くことがあります。しかし、私はこういった感想を否定的なものだとはあんまり思っていません。なぜかというと「でも面白かった」と言葉を続ける人が結構いるからなんです。これはいったいなぜなのか、説明するのは難しいのですが、、

 

その手がかりとして、まずは三波春夫先生の言葉を引用します。

たとえば物語が理屈に合わなくても、面白くて、いやーよかったなあ、今日の浪花節は、しかし筋は何だったけな、というぐらいで、私はいいと思うんですよね。

三波春夫botより引用:元発言

 

ここで、三波先生の仰っていることというのは実はとても重層的で、ある意味で誤解を招きます。少なくとも「テキトーでいいじゃない。」と仰ってるわけではない。

現在の歌の型に至るまで、先祖たちが血みどろになって作り続けた、藝と夢と魂に学ばなくて、人の心をうつ歌やドラマが作れるだろうか?

三波春夫botより引用:元発言

 

つまり、「先祖たちが血みどろになって作り続けた、藝と夢と魂に学」んだうえで「しかし筋は何だったけな、というぐらいで、私はいいと思うんです」と仰ってる。テキトーなものだからテキトーに楽しんでくださいという話ではないわけです。いや、こういうことはなかなか言えません。普通は自分が苦労した分だけ「わかってください」と声を大にするものです。なんという覚悟。

三波先生のこういう覚悟は、おそらく浪曲の構造的特質を稽古によって身に染み付かせた結果、生まれたものではないでしょうか。私が考えるところ、浪曲の構造的特質とは

  • ・啖呵(セリフ、語り)
  • ・節(歌)
  • ・三味線

 

という要素が複雑に絡み合うという基本的構造が生み出すものであると思います。

浪曲において「啖呵」とはいわゆる「節」つまりメロディ部分でない語り要素を示します。啖呵において、立て板に水のごとく、たたたっと語られる部分(おそらく節談説教や講談の要素を取り入れたものだと思います)はある意味で音楽的でメロディアスです。しかし、講談の修羅場読みを音楽だと認識する人はあまりいないのと同じように、あくまで語り部分。と思って聴いていると三味線がガンガンに浪曲師を煽り、そのまま節へ突入したりする。かとおもうと節の中によく使われる「道中付け(登場人物の移動の過程を地名を織り込んだ洒落を交えた情景描写で描く節)」では三味線が小気味いいメロディを刻んでいるにも関わらず、浪曲師は節のメロディアスな要素を控えめにして、リズミカルに畳み込む。これは啖呵にも近しい。また、啖呵の中では三味線が主人公の心理描写から情景描写まで様々な効果音を鳴らす。

つまり、浪曲においては語り要素と音楽要素は融合しあっていて、あたかもグラデーションのように「語り90%,音楽10%」〜「音楽100%」くらいまでの中で分布しているような状態になっている。

こういう構造は他の芸能ではちょっとないのではないでしょうか。例えば、説教節、琵琶歌、瞽女唄などの楽器による伴奏を伴う「語り芸」においては、どちらかというと節が主であって、語り要素はそれほど強くありません。こういう融合的要素もあるのでしょうけれど、ここまで分布が広くはなさそうです。これは浪曲が説教節、琵琶歌、瞽女唄などより後の時代の芸能であり様々な芸能の要素を雑食的に取り入れて技法が多様化したこと、それまでの伴奏を伴う「語り芸」が弾き語りであるのに対して浪曲は太夫と曲師の分業で複雑な演奏が可能になったことに起因するのではないかと考えます。

つまり、三波先生が仰るところの「先祖たちが血みどろになって作り続けた、藝と夢と魂に学」んだ結果が浪曲という芸そのものとして結実しているわけです。まさしく芸の構造がそれを示しているのですから間違いない。ジャズ的に言うならこれはフュージョン。ロック的に言うならプログレッシブ。もっと言うならミクスチャー。レッチリとかレイジを聴くつもりで聴け!

すいません、悪ノリしすぎました…。

こういう複雑な構造的特質が観客にどういう印象を与えるのか、そして「言葉が聴き取れない」「話の筋がわからない」といった感想に「でも面白かった」と続ける人がいるのか、そして三波先生が「たとえば物語が理屈に合わなくても、面白くて、いやーよかったなあ、今日の浪花節は、しかし筋は何だったけな、というぐらいで、私はいいと思うんですよね。」と仰ることとどう繋がるのか、などはまた次回以降に考えていきます。

話芸の魅力。

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Posted on 2013/12/05 by

浪曲の魅力について考える前に「話芸」の魅力についてまとめておきたいと思います。小沢昭一さんが仰ったようにこの国には多くの「語り芸」があります。節談説教、説教節、琵琶歌、瞽女唄、万歳、漫談、漫才などなど。なかでも浪曲は日本三大話芸「落語、講談、浪曲」の一つとされています。それらはほんとうに多種多様で一口に「話芸」とか「語り芸」とか括っていいものだろうかと思えるほどです。私なんかがその特性を比較するなんてことは全く無理で、すべてに共通する点は「人が語る」ということ以外にないんじゃないかと思えます。しかし、こんないい加減な解説あっていいものだろうか。とはいえ文章で特徴を説明できるくらいならそもそも「話芸」である必要ないのです。文章でその魅力を示せるのならば、それは文章に回収される程度のものなのであって、そこからはみ出る部分こそに魅力があるはずです。

「人が語る」のと「本を読む」のとは違って「間」と「感情」が生じます。抑揚や発音や身振り手振りが自然と物語に膨らみを持たせるのです。同じ物語をちがう演者が語ることで物語はまったく違う表情をみせることがあります。いや、同じ演者が違う日に演じても違う表情を見せるときもあります。これが「人が語る」ということなのだと思いますし、演者はその為に同じ演題を長い間演じ続けて磨き上げるわけです。また、観客もそれがわかっているから、同じ「話」をなんども楽しめるわけです。「同じ話を何度も聞いてよく飽きないなぁ」なんてなことを言う人もいますが、それくらい聴くからそういう細部がわかるようになるのですね。

かの昔、ラジオもレコードもテレビもなかったころ、「琵琶法師」が平家物語を語ってあるいたように、「よみうりや」がニュースを語りながら瓦版を売ったように、語り芸は一種のニュースソースだったのでしょう。しかし現代においては、わざわざ出かけなくても、自宅のテレビやパソコンからニュースが溢れ記録が溢れています。それらは「話芸」が伝える情報より遥かに情報量が多く、リアルで、しかも何度でも確認できます。

「話芸」は本来聴いたそばから消えていく「消えもの」の芸。演者の記憶と体が再生装置の代わりです。「なまもの」ですから、当然のごとくその都度の調子、演者の成長に従って細部が変わります。録音や映像にも、そのときの演者の状態が入り込んできますから、生身の人間が演じるものであるというその本質は変わらないはずです。さらに、聴く人の状態によっても違って聴こえます。なので情報としては偏っていて、イイカゲンです。記録としては心もとない。その意味では「同じ話を何度も聞い」ても同じようには聴こえないんですね。

「話芸」が魅力的なのは、「話」ではなく「芸」、つまり「語り口」といううつろいやすいものの魅力のためではないかと思います。観客は語り口に乗せられて、想像で情景を膨らませます。それは小説からも芝居からも映画からも得られません。「偏っていて、イイカゲン」な欠損があるからこその楽しみで、そのなかのデティールの細やかさにこそ魅力が宿る、一種の転倒した、しかし、とても豊かな営みなのです。

なので「話芸」を楽しむには生の舞台を見るのがいちばんいいんです。

このつづきにはこれを踏まえて、「話芸」の中における浪曲の特殊性について書きたいと思います。